2014年3月6日木曜日

新幹線で救命処置を行う医者はバカか

少し前に話題になりましたが、JR東日本が新幹線や特急の車内に、ちょっとした医療グッズを搭載するという記事。

ツイッター上では、某美容外科クリニックの先生やら救急や弁護士の先生などが、それぞれのお立場からオピニオンを呈されておりました。

コネを通じて法務省に聞いてみたところ、文書で回答がありましたので転載します。
ちなみに協力してくれたのはこの方

===================
医療従事者による傷病者への心肺蘇生について  法務省

1  路上や列車内・ 航空機内などで傷病者が発生し、居合わせた者が手当てを開始した場合、医療関係の資格を持たない一般市民であれば、 たとえ不幸な転帰となったと しても、 悪意がなければ、民法上・刑法上とも責任を問われないものと承知している。 この認識は正しいか否か。
(回答)
○ 民法上の責任について
一般論と しては、上記事例のような場合、当該一般市民の行為は、義務なく他人のために事務の管理を始めたものとして事務管理が成立する。そして、当該一般市民の行為が、「本人の身体・・・に対する急迫の危害を免れさせるために」 行った事務管理と して緊急事務管理になる場合には、当該一般市民は、悪意又は重大な過失がない限り、損害を賠償する責任を負わないと考えられる (民法第698条)。
(参考条文) 民法 (明治二十九年法律第八十九号)
(事務管理)
第六百九十七条 義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において 「管理者」 という。) はその事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理 (以下「事務管理」という。)をしなければならない。
2 管理者は、本人の意思を知っているとき、又はこれを推知することができるときは、その意思に従って事務管理をしなければならない。
(緊急事務管理)
第六百九十八条 管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れ させるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。

○刑法上の責任について
 犯罪の成否は、捜査機関により収集された証拠に基づき個別に判断されることとなるものであるから、 お尋ねのような仮定の事例について、犯罪の成否をお答えすることは困難(なお、刑法37条1項本文の 「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を越えなかった場合に限り、罰しない。」 という規定についても同様。)。

2 医師の資格には 「応召義務」が伴うが、市井で遭遇した傷病者にできる限りの応急処置を行うだけでは足りず、不幸な結果が生じた場合にも民事・刑事事上の責任を負わなければならないのか。
(回答)
○ 民法上の責任について
(1)医師法第19条9第1項の診療義務等の性質やこれに伴う責任については、医師法を所管する厚生労働省に確認していただきたい。
(2) 医師が市井で遭遇した傷病者に対して応急措置を行った埋合について も、基本的には1の場合と同様であり、当該医師の行為が、「本人の身体に対する急迫の危害を免れさせるために」 行った事務管理として 緊急事務管理になる場合には、当該医師は、悪意又は重大な過失がない限 り、損害を賠償する責任を負わない。
(なお、医師が、傷病者からの依頼に応じて応急措置を行った場合など、医師と傷病者との間で診療契約が成立したとみうる場合には) 医師は医療契約上の義務を負い、 医師の行った応急処置などに過失があれば、 医師は債務不履行責任を負う可能性がある。)
〇刑法上の責任について
1と同様

3 過去に「 院外で遭遇した傷病者に対して医師が手当てを行ったが、不幸な転帰となったことにより、民法上の責任及び刑法上の責任を問われた裁判等はあったか。 あれば概要等をご教示願いたい。
(回答)
○ 調査した範囲では'、そのような裁判例等は見当たらなかった。

2014年3月4日火曜日

尊厳死議連

先週2月27日に、尊厳死法制化を考える議員連盟の会合が開かれました。

参考までに、現時点での法案を載せておきます。2つの案が議論されており、第一案が「延命措置の不開始」、第二案が「延命措置の中止」に関するものです。


終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)

==<第1案(未定稿)>==
(趣旨)
第一条 この法律は、終末期に係る判定、患者の意思に基づく延命措置の不開始及びこれに係る免責等に関し必要な事項を定めるものとする。

(基本的理念)
第二条 終末期の医療は、延命措置を行うか否かに関する患者の意思を十分に尊重し、医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と患者及びその家族との信頼関係に基づいて行われなければならない。
2 終末期の医療に関する患者の意思決定は、任意にされたものでなければならない。
3 終末期にある全ての患者は、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられなければならない。

(国及び地方公共団体の責務)
第三条 国及び地方公共団体は、終末期の医療について国民の理解を深めるために必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

(医師の責務)
第四条 医師は、延命措置の不開始をするに当たっては、診療上必要な注意を払うとともに、終末期にある患者又はその家族に対し、当該延命措置の不開始の方法、当該延命措置の不開始により生ずる事態等について必要な説明を行い、その理解を得るよう努めなければならない

(定義)
第五条 この法律において「終末期」とは、患者が、傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置(栄養補給の処置その他の生命を維持するための措置を含む。以下同じ。)を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう。
2 この法律において「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置をいう。
3 この法律において「延命措置の不開始」とは、終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する状態にある場合において、当該患者の診療を担当する医師が違当該新たな延命措置を開始しないことをいう。

(終末期に係る判定)
第六条 前条第一項の判定(以下「終末期に係る判定」という。)は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする。

(延命措置の不開始)
第七条 医師は、患者が延命措置の不開始を希望する旨の意思を書面その他厚生労働省令で定める方法により表示している場合(当該表示が満十五歳に達した日後にされた場合に限る。)であり、かつ、当該患者が終末期に係る判定を受けた場合には、厚生労働省令で定めるとごろにより、延命措置の不開始をすることができる。

(延命措置の不開始を希望する旨の意思の表示の撤回)
第八条 延命措置の不開始を希望する旨の意思の表示は、いつでも、撒回することができる。

(免責)
第九条 第七条の規定による延命措置の不開始については、民事上、刑事上及び行政上の責任(過料に係るものを含む。)を問われないものとする。

(生命保険契約等における延命措置の不開始に伴い死亡した者の取扱い)
第十条 保険業法(平成七年法律第百五号)第二条第三項に規定する生命保険会社又は同条第八項に規定する外国生命保険会社等を相手方とする生命保険の契約その他これに類するものとして政令で定める契約における第七条の規定による延命措置の不開始に伴い死亡した者の取扱いについては、その者を自殺者と解してはならない。ただし、当該者の傷病が自殺を図ったことによるものである場合には、この限りでない。

(終末期の医療に関する啓発等)
第十一条 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて終末期の医療に対する理解を深めることができるよう、延命措置の不開始を希望する旨の意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、終末期の医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。

(厚生労働省令への委任)
第十二条 この法律に定めるもののほか、この法律の実施のための手続その他この法律の施行に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。

(適用上の注意等)
第十三条 この法律の適用に当たっては、生命を維持するための措置を必要とする障害者等の尊厳を害することのないように留意しなければならない〟
2 この法律の規定は、この法律の規定によらないで延命措置の中止等をすることを禁止するものではない。

附則
1 この法律は、〇〇から施行する。
2 第六条、第七条、第九条及び第十条の規定は、この法律の施行後に終末期に係る判定が行われた場合について適用する。
3 終末期の医療における患者の意思を尊重するための制度の在り方については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況、終末期にある患者を取り巻く社会的環境の変化等を勘案して検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする。
=================================


=第2案(未定稿)=========================
(趣旨)
第1条 この法律は、終末期に係る判定、患者の意思に基づく延命措置の中止及びごれに係る免責等に関し必要な事項を定めるものとする。

(基本的理念)
第二条 終末期の医療は、延命措置を行うか否かに関する患者の意思を十分に尊重し、医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と患者及びその家族との信頼関係に基づいて行われなければならない。
2 終末期の医療に関する患者の意思決定は、任意にされたものでなければならない。
3 終末期にある全ての患者は、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられなければならない〟

(国及び地方公共団体の責務)
第三条 国及び地方公共団体は、終末期の医療について国民の理解を深めるために必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

(医師の責務)
第四条 医師は、延命措置の中止等をするに当たっては、診療上必要な注意を払うとともに、終末期にある患者又はその家族に対し、当該延命措置の中止等の方法、当該延命措置の中止等により生ずる事態等について必要な説明を行い、その理解を得るよう努めなければならない。

(定義)
第五条 この法律において「終末期」とは、患者が、傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置(栄養補給の処置その他の生命を維持するための措置を含む。以下同じ。)を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう。
2 この法律において「延命措置」とは、終末期にある患者の傷病の治癒又は疼痛等の緩和ではなく、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置をいう。
3 この法律において「延命措置の中止等」とは、終末期にある患者に対し現に行われている延命措置を中止すること又は終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する状態にある場合において、当該患者の診療を担当する医師が、当該新たな延命措置を開始しないことをいう。

(終末期に係る判定)
第六条 前条第一項の判定(以下「終末期に係る判定」という。)は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする。

(延命措置の中止等)
第七条 医師は、患者が延命措置の中止等を希望する旨の意思を書面その他の厚生労働省令で定める方法により表示している場合(当該表示が満十五歳に達した日後にされた場合に限る。)であり、かつ、当該患者が終末期に係る判定を受けた場合には、厚生労働省令で定めるところにより、延命措置の中止等をすることができる。

(延命措置の中止等を希望する旨の意思の表示の撤回)
第八条 延命措置の中止等を希望する旨の意思の表示は、いつでも、撒回することができる。

(免責)
第九条 第七条の規定による延命措置の中止等については、民事上、刑事上及び行政上の責任(過料に係るものを含む。)を問われないものとする。

(生命保険契約等における延命措置の中止等に伴い死亡した者の取扱い)
第十条 保険業法(平成七年法律第百五号)第二条第三項に規定する生命保険会社又は同条第八項に規定する外国生命保険会社等を相手方とする生命保険の契約その他これに類するものとして政令で定める契約における第七条の規定による延命措置の中止等に伴い死亡した者の取扱いについては、その者を自殺者と解してはならない。ただし、当該者の傷病が自殺を図ったことによるものである場合には、この限りでない。

(終末期の医療に関する啓発等)
第十一条 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて終末期の医療に対する理解を深めることができるよう、延命措置の中止等を希望する旨の意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、終末期の医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。

(厚生労働省令への委任)
第十二条 この法律に定めるもののほか、この法律の実施のための手続その他この法律の施行に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。

(適用上の注意等)
第十三条 この法律の適用に当たっては、生命を維持するための措置を必要とする障害者等の尊厳を害することのないように留意しなければならない。
2 この法律の規定は、この法律の規定によらないで延命措置の不開始をすること及び終末期にある患者に対し現に行われている延命措置を中止することを禁止するものではない。

附則
1 この法律は、〇〇から施行する。
2 第六条、第七条~第九条及び第十条の規定は、この法律の施行後に終末期に係る判定が行われた場合について適用する。
3 終末期の医療における患者の意思を尊重するための制度の在り方については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況、終末期にある患者を取り巻く社会的環境の変化等を勘案して検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする。

2014年2月19日水曜日

賃貸住宅で死んだら

今年の診療報酬を見れば明らかだけれど、厚労省は病院施設ではなくて、自宅での医療や介護を強力に推進している。つまりは、「自宅で死ぬ」ということをプッシュしているわけである。

しかし、持ち家で死ぬ人ばかりではない。市営住宅などであれば特に問題になることもないのだろうけれど、借家で死んだ場合にはどうなるか。

大家サイドの立場はこうだ。

「貸家で死亡者が出た場合には、その旨を『重要事項』として借り主に説明しなければならない。自殺や殺人はもとより、病死や老衰死であっても不動産の価値を大きく毀損する。」

(結論)「借家で死なれては困るから最期は病院で」


ちょっと国土交通省に確認してみた。

1)賃貸物件で死亡者がいたという事実は、不動産取引において必ず説明しなければならない事項なのか

→ 宅建業法35条のいわゆる「重要事項」の中には、死亡者がいたかどうかは含まれていない。


(2)変死でなく、がんや老衰等で家族や医師らに看取られながら死亡した場合にも、その旨を必ず顧客に説明しなければならないか。

→ 宅建業法47条では、業者が相手方の判断に重要な影響をおよぼすこととなるものについて、故意に事実を告げないこと等を禁止している。しかし、判例から見て、一般的に病気や老衰による自然死はこうした重要な影響を及ぼすことには該当しないため、特に説明を要しない。

【東京地裁 平成19年3月9日】
老衰や病気等による借家での自然死については、当然に賃借人に債務不履行責任や不法行為責任を問うことはできない。

「借家であっても人間の生活の本拠である以上、老衰や病気等による自然死は、当然に予想されるところ」

【東京地裁 平成18年12月6日】
賃貸アパートにおいて、建物の階下の部屋で半年以上前に自然死があった事実は、瑕疵に該当しない。

「社会通念上、賃貸目的物にまつわる嫌悪すべき歴史的背景等に起因する心理的欠陥に該当しない」



(3)病死や老衰死の取り扱いについての通達やガイドライン、業界団体の取り決め等があるか。

→ 国からの通達やガイドラインはないし、業界団体の取り決めは承知していない。


これで借家で看取っても大丈夫、となるかどうかだがどうだろう。それにしても、いつまで経っても回答がこない厚労省とは違って、即答できる国土交通省の担当官の優秀さはさすがである。

2014年2月18日火曜日

放送大学に医学部新設 総務省方針

(虚校新聞から引用)

総務省は、所管する通信制の放送大学(千葉市)に医学部を新設する方針を固めた。18日、新藤義孝総務相が閣議後の記者会見で明らかにした。

新たに医学部が新設されることとなった放送大学は、教養学部のみの単科大学で、平成25年度は全国で約8万4,000人が学んでいる。大学受験を必要とせずに書類だけで入学でき、テレビやラジオで場所を問わずに受講できる大学で、必要な単位を取れば学士の学位を得られる。

医学部は入試をクリアしさえすれば、ほとんどの卒業生が留年もせずに6年間で卒業して医師免許を取得でき、就職先の心配をしなくて済むため、近年人気が高まっている。その一方で、「入試を突破したら最後、先輩から部活やアルコールによって骨抜きにされて学習意欲が著しく落ち、どこからともなく回ってくる試験資料のみを丸暗記してテストに臨み、クソ度胸だけが身につくところである」との指摘が東大安田講堂を封鎖した人たちの時代からなされていた。

新藤総務相によると、「総務省は行政監察も担当しており、行政の非効率は正さなければならない。このたび、国立である広島大学医学部において、神経解剖学の追試に120人が不合格となるなど、巨額の税金を使って学んでいる医学生の学習意欲が乏しいことが表面化した。単に医学部に在籍しているだけで将来も安泰、とおごっている医学生を駆逐しなければならない」と述べ、入試を課さない医学部の創設に意欲を見せた。

新たに設けられる放送大学医学部は、定員を設けず、医師になりたい者はあまねく受け入れる方針。座学はネットを用いた教育を行い、定期試験もネットを活用して行う。生化学や生理学などの実習は研究者を志望しない学生には割愛し、解剖実習のみプレステ4を用いたVRにて体験する。臨床実習は研修医が来ないへき地の病院の空いている枠を用いて順次行う。通常の医学部と同様に各学年1年ずつ留年ができ、最大12年間まで在籍は可能。

医師不足に即応できるよう、医師国家試験の教育に詳しい予備校関係者を教授として任命する予定で、MTMこと三苫 博医師(テコム講師、東京医大医学教育学教授)らの名前が取りざたされている。授業料は未定だが、医学部のカリキュラムには臨床実習が含まれることから、私立医科大学並みとなる予定。大学側は、初年度は5000人ほどの入学希望者があると見込んでいる。

放送大学医学部の卒業生の多くが国家試験に合格すれば、我が国の医師の需給は大幅にだぶつき、学生のころから勉強しない医学生は路頭に迷うだろう。

学長に内定した坂本義太夫 京都大学教授(医学教育学)によると、「弁護士だって食えねえ時代に、医学部に入ったぐらいで18、19のガキがエリートぶってんじゃねえよ。お前らも努力しねえと淘汰されるってことを叩き込んでやる。ぐはははは」と、新たな医学教育に向けて並々ならぬ決意を見せた。

2014年2月1日土曜日

溺水ハウス

救急車で来ても、「ああ、残念だけど仕方ないね」とされてしまうシチュエーションがある。

その一つが風呂に沈んでおぼれた状態。

「いつも元気な90歳の婆ちゃんが、いつものように夕飯を食べて、食後に市販の風邪薬を飲んでから風呂に入った。いつまでたっても上がってこないので、家族が見に行くと湯船の水面に顔面を伏せた状態でぐったりしている婆ちゃんを発見。救急車で搬送するもあえなく死亡確認。」


「風呂で寝ると死ぬぞ、年寄りは特に死ぬからな」とぼくは外来で力説するようにしている。市販の総合感冒薬に含まれる抗ヒスタミン薬は眠くなる。老人だとまさしく「こうかはばつぐんだ!」

湯船が大きいときには仰向けの状態で風呂のお湯の中にずり落ちる。体育座りするような狭い風呂だと、カクンとうなだれて水面から鼻やら口からお湯が入って溺死だ。

追い炊き中に寝てしまうとなおさら悲惨だ。爺ちゃん・婆ちゃんの世帯では昔ながらの「バランス釜窯」とかいう、いい湯加減になったら手動で止めるタイプの風呂が多いと思う。これで、入浴中に寝てしまっておぼれ、そのままエンドレスにお湯が沸くとどうなるか。誰かが発見するまでぐつぐつ煮出されてしまう。ぼくが検案したケースだと、まさに豚骨スープ状態になっていた。
そのままお湯がなくなるまで沸かされれば、空焚きになって風呂から出火し、焼死体で発見される。

「カゼ薬、飲むなら(風呂)入るな、入るなら飲むな」である。

急変とみせかけて

「肺炎の高齢者が入院していた。呼吸状態が悪いので、酸素マスクで高流量の酸素を流していた。具合が悪いので家族が簡易ベッドを病室において付き添っていた。

家族が付き添ってから数日が経ち、肺炎もいくらか改善してきたころだった。夜中に、「先生、呼吸停止です」として呼ばれた。あらかじめ「蘇生処置は一切しないでほしい」という要望があったので、心臓マッサージなどはせず、そのまま静かに看取ることにした。呼吸が止まれば数分で心臓も止まる。担当医が駆けつけた時には瞳孔も開いており、家族がそろっていたので死亡確認した。死亡診断書を「肺炎」として記入した。家族に連れられて退院された。」


肺炎は日本人の死因の3位だそうで、高齢者の場合には突然呼吸が止まるという事態がわりとよくおこりうる。ここで触れたエピソードも別に何の変哲もない話だ。

ところが、重症の肺炎でぐったりしている人だとどうだろう。そりゃあ、うんとひどい肺炎の場合には挿管されて人工呼吸器管理されたりして、ICU管理となっているだろうから、家族が付き添うことは難しいだろう。そのかわり看護師がほぼマンツーマンで24時間対応してくれるので心配はいらない。
かといって、どこの病院にもICUがあったり、いつも手厚く看護師がいるわけでもない。不調を訴えてもすぐにナースコールを押せないこともある。モニターを付けていても、夜中だと看護師の配置が薄いので、常にチェックできているわけでもない。アラームが鳴っても、すぐに巡回に来られるわけでもない。

ぼくが担当した患者さんではないが、あまりに急な経過で死亡したので家族が酸素を止めた可能性を否定できない方がいた。

酸素を10Lとかで流している患者さんの場合、酸素のダイヤルをひねって0Lに勝手に下げればみるみる低酸素となり、呼吸は止まり心停止に至る。重症度にもよるけれど、その間早ければ数分というところか。心停止になったあとで酸素のダイヤルを元通りに戻しておけば何の証拠も残らない。

急に亡くなったわけだけれど、肺炎の経過と考えても一応の説明はつくし、何の証拠もないので警察に相談しても「病気で死んだってことで説明できるんですよね?」といわれおしまいとなった。警察としてはもしも司法解剖したところで、「重症な肺炎ですねー」という以上に何かわかるわけでもないので、本音は関わりたくないんだそうだ。

病院としても刑事さんにねちねち聞かれて業務が止まるし、「●●病院で医療ミス」なんてマスコミの餌食になると覚悟して連絡したのに、そんな木で鼻をくくったような対応なのかとあきれた。

つまりは、その気になれば恨みや相続の関係で早く死んでほしいと願う家族が付き添って、暗くなるまで待って、酸素のダイヤルを一ひねりするだけで簡単に完全犯罪ができてしまうわけだ。

病院の夜は怖い。

2014年1月13日月曜日

看取りのアプリ

まだ開発中で試行錯誤が続いているので詳しいことは言えないのだけれど、看取りに関するスマホアプリを作っている。

「看取り」とか「終末期」とかの言葉尻からは、お先真っ暗なイメージを持ってしまう人も多いけれど、人生のフィナーレなのだから本人の好きなように緞帳を下してあげるのが僕ら医療者の仕事なんだろうと思う。クラシックのコンサートなら、演奏が終わった瞬間、われ先に「ブラボー!」と叫ぶ御仁がいるけれど、僕らも内心そういえるように患者さんの人生の閉じ方を演出できればと思う。

そんな役に少しでも立てば、というアプリなのだけれど、イラストが必要になった。私は図工も美術も成績が2(ほんとは1だがお情けで2)だったので、絵心はまったくない。胸部レントゲンのスケッチぐらいなら得意だが、イラストなんて及びもしない。

そんな中、ツイッターでお願いしたところ、快くイラストをお寄せいただいた。

Kage(@877_727)さんの作品

1/10の深夜にお願いしたら、なんと翌朝にはお送りいただいたので、夜遅くまでかけて描いてくださったのでしょう。なんともありがたい。

引き続き、心温まるイラストを募集していますので、mhlworz@gmail.comまでお寄せください。
ブログやアプリに掲載させていただきます。
(著作権は描いていただいた方のものですが、当方から対価のお支払いはできませんのでご了承ください)

2014年1月8日水曜日

DNARの裏の意味

◯DNARとは

入院した患者さん、あるいは家族からDNAR(do not attempt resuscitation)の承諾をもらうことがある。病院によってはDNR(do not resuscitation)というかもしれないが、こっちはやや古い言い方のようだ。言葉の詳しい定義や背景は日本救急医学会のwebをご覧いただきたい。

高齢者医療に関してDNARといえば、ぶっちゃけた話、「息が止まってたら、そのまま蘇生なんかしないで死亡確認しますけどいいですよね?」ということを意味する。承諾をもらうときには相手をみて、「深夜の巡回とかで見つけて・・」とか、飲み込めるような具体的なシチュエーションを枕詞にして、ショックを和らげる工夫をする。信じられないことなのだけれど、爺ちゃん婆ちゃんが無限に生き続けるかのように思っている家族が案外多いからだ。入院したらヒットポイントのゲージが満タンになって帰れるかのように錯覚する人も多いし。

医者の本音としては、病院で大勢のスタッフの目の前で倒れた若い人ですら蘇生は容易でないというのに、息も絶え絶えの高齢者は蘇生したって厳しいのは目に見えているので、あまりやりたくないのだけれど。


◯ 今夜も眠れない

当直をやっていると、褥瘡だらけで関節もガチガチに拘縮して、どうみても2週間以上前からメシがほとんど食えてなかったと思われるのに、「急に具合が悪くなったんです!」と言い張って救急車呼んできた、もはやカウントダウン状態の高齢者がくることも多い。自分はそういう老人は入院する必要なんてないと思っている。老衰に抗うことができる治療なんて申し訳ないが、ないんだもの。本人の意志を尊重して自分の家で看取ってもらうのがスジじゃないかと思うのだけれど、救急車で来た患者を家に帰すときには少なからずトラブルになる。

こういう人たちを相手に、夜中の3時とかに、こんな不毛なやりとりを何度と無く繰り返してきた。

ぼく  「寿命なので病院でやれることはありません。連れて帰ってください」 
家族A 「心配なんで入院せさせてもらえませんか」
家族B 「うちらも仕事してるんで、日中こんな年寄りがいたら困るんです」
家族C 「お前ら税金(筆者注:医療費への税金投入のことらしい)で飯食ってんだろ。患者の家族が言うことにどうして従わねえんだ」
ぼく  「病院は医療が必要な人が入院するところです。老衰は治りませんので・・・」(最初に戻る)

救急車よりも先回りして病院に到着して、当直医をどつくほど元気な家族だったりするから、多勢に無勢というところはあるが、筋はきっちり通さねばいけないと思う。だけれども、僕のつたない交渉力ではどうしようもなくて、「経過観察」名目で入院となることもある。全例そうしているわけではないことは、自分のちっぽけな名誉のために強調しておくけれど。

そんなときには、「入院中に死ぬかもしれませんよ」と直截的に言い、「心臓や呼吸が止まったら蘇生を希望しますか」とも聞く。だいたいの家族は「蘇生って何ですか」と聞き返すので、「心臓マッサージや気管挿管、薬の投与などです」と答える。だいたい救急車で死にかけた老衰の人を送ってよこす家族は、「そこまでしなくていいです」とこともなげに言う。

治療(と言っても老衰に治療などないが)の内容についても、突っ込んだ話し合いをしていく中で、「点滴はしなくていいです」「酸素、いりません」というので、「じゃあなんで連れて来たんですか」と聞くと、「いやー、家で死なれると迷惑なんで。うち借家なんで、大家さんにうるさく言われるとアレなんでー」なんてホンネが聞ける。よくある話だけれど。

僕らからすれば、「一生懸命の治療をしたうえで、それでもどうしようもないときには、それ以上ご本人に鞭打つのはひどい話なので、蘇生処置はしません」というのが本来のDNARなんだろうと思う。だけれども、老衰の人を連れてきた家族なんかからすれば、「蘇生なんてまっぴら御免だし、とにかく治療もしなくていいから病院でさっさと枯らしてほしい」というものなんだろうと思う。


○病院は死ぬ場所か

しつこいけれど、病院には老衰の人を連れてきてほしくはないので、かかりつけのドクターに往診なり訪問診療をしていただくのがベストだと思う。ベテランの先生だったら、本当に見事に「枯らし」てくれる。点滴で水膨れになることもなく、棺から水が垂れることもない。水分が抜けて軽くなった遺体を持ち上げて、その軽さに家族が感極まって落涙するとも聞く。石川啄木の短歌みたいなものだろう。

かなり前になるけれど、僕が学生の頃、東京都監察医務院に見学にいったことがある。いわずと知れた法医学のメッカである。東京23区で医療機関が絡まないで亡くなった人には、監察医の先生が車に乗って現場に検視に行く。法医学教室の事件ファイルとかテレ朝の刑事ドラマみたいなケースはほとんどなくて、高齢者の孤独死がほとんどだった。
警察署のモルグで監察医の先生がポロっと言っていた。「かかりつけの先生がいたら、警察が臨場して俺たちが検視にいくような大ごとにはならなくて済んだんだろうにね」と。

2014年1月5日日曜日

その気になれば

爺ちゃんが寝たきりになった。寝たきりだけど病気ではないので、入院はさせてもらえない。介護というけれど、面倒を見るためにもカネが要る。マンションの家賃とか、金利や株式配当みたいな不労所得があるわけでもないから、稼ぐためにはパートに出かけなければならない。でも、家に寝たきり老人を置いて行って、目を離している間にもしも死なれでもしたら警察沙汰。介護施設に入れるカネもないし、特養なんて何十人待ちかわからない。。

そんな気の毒な人が最近増えている気がする。

こういう時に「枯らす」技術の出番となる。

もちろんその気になれば、僕ら医者は高齢者の寿命を縮めることだっていくらでもできる。目の前で死なせることは技術的には造作もない。でも、やらない。医師免許を棒に振って、刑務所に入ってまで尽くしたい患者さんなんて、申し訳ないがいないもの。

これまで安楽死のために医者が手を下した事件では、医薬品を使っている。東海大学安楽死事件で使われた塩化カリウム、川崎協同病院事件で筋弛緩薬などだ。けれどもこうした薬品を使えば証拠が残るので、警察にタレ込まれて司法解剖になれば血液を分析すればすぐにバレる。死後、血液中のカリウムは上昇するので、塩化カリウムを急速投与して不整脈を起こして死亡したことなんてわからそうなものだけれども、それは素人の考えなんだそうだ。科捜研がその気になればカリウムの出所を突き止めることもできるんだそうだ。「画像診断一発で死因がわかる」だなんていう小説家にこっぴどく言われているけれど、日本の警察も法医学教室も優秀なのだ。

やるかどうかは別として、完全犯罪を目指すとしたら、たとえば、

・ 日ごろから水分を引き気味に管理していた患者に点滴をありえない速さで落とす。(心不全)
・ 呼吸状態の悪い患者の酸素投与を操作する。COPDの患者だと酸素をありえない量で投与すると、CO2がたまって呼吸停止する。肺炎の患者とかの酸素を止める。(呼吸不全)

こうしたテクニックを使ったとして、入院管理中に予期せぬ死を迎えた場合には、病院の管理責任が問われる。デスカンファレンスといって死亡症例の検討を行う病院も少なくない。病院内ではいつも誰かの目が光っているので、看護師さんのみならず、相部屋の患者とかからも事情聴取がなされる。そんなリスクを冒してまで、主治医が高齢者を「枯らす」というか「逝かせる」ことはまずないわけだ。
さらに、2014年の国会では医療法が改正されるようなので、これからは医療事故調査委員会が発動して調査しにくることになりそうだ。ますます病院で「枯らす」ことは難しくなるといえよう。

仕方がないので、枯れていくプロセスの中に死をビルトインすることが、問題が表面化しないコツだろう。これからはそのための方法論を書いていくことにしよう。

「高齢者施設から救急搬送されるとどうなるか」

質問をいただいたので、お答えしていこうと思います。随時お答えするので、普段からの疑問などをお寄せいただければありがたいです。思いついたら、当ブログのコメント欄にでも書き込んでください。

==引用始まり==

初めまして。ツイッターではフォローさせていただきお話を読ませていただいております。「枯らす」技術そのものも興味深いのですが、高齢者施設に勤務する自分の仕事上、気になっていることがいくつかあります。

もしも高齢者を救急搬送して「延命希望」と家族が言った場合、どのような処置(治療?)が為されるのでしょうか。ご家族の意向を確認するときに、必ずこの話になるわけですが、家族がもしものときは救急搬送をと希望されていても、正直なところ救急搬送しても病院からは叱られ、入院にもならず戻ってくることもしばしばです。家族は、施設では無理でも病院なら助けられると漠然と考えているような面もあり、うまく説明できずにいます。90歳も越え、肺炎を繰り返すような状態で、何度も搬送すること自体が体力を奪っていくようにも感じます。

また、施設で看取る場合も、家族は何故か点滴を過大評価しており「ともかく点滴を続けて欲しい」という希望を示されますが、使える血管が次第になくなり、身体が水分を処理しきれなくなっているようにも感じる状態で、この点滴が本人を苦しめているのではないのか、という疑問も生じてきます。

私の知識不足に問題があることを承知で、不躾な質問を書いてしまいましたが、高齢者の救急搬送・延命処置についてと終末期の点滴の継続のについて、よろしければ教えていただければ大変うれしく思います。家族のエゴで本人が苦しむのは避けたいところですが、いわゆる「本人にも良かれと思って」という気持ちで誤った選択が横行しているのならば、そのことを面談など通して伝えていきたいと考えております。どうぞお時間があるときでけっこうですのでブログで取り上げてくだされば参考にさせていただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。 



==引用終わり==


要するに、「高齢者の施設にいる老人を救急搬送したら病院で何をされるのか」という施設職員からのご質問。アカデミックな回答はEARL先生のブログが詳しいのでご一読願いたい。http://drmagician.exblog.jp

一方、なるべく平易に一般の方でも直感的にわかるように、というのがこちらのブログの趣旨なので、ベタな臨床医がどう対応するのかって観点でお答えする。横道にそれるのはご愛嬌。


◯ 医者は「どこまで頑張らなければならないのか」とまず考える。

・90歳、意識消失。認知症で不穏、多発性脳梗塞で症候性てんかんで内服中。
・87歳、誤嚥性肺炎。脳梗塞で嚥下障害あり。
・93歳、尿路感染症。寝たきり、褥瘡あり。

みたいなのが高齢者施設からの搬送の典型だと思う。消防本部から救急要請の電話が来たらそりゃ受けるけれど、救急車から降りてきた家族に、「ご家族はどこまでの医療を希望されてるんですか」と聞いて、あまりにあっけらかんと「できることは全部やってください!」と言われても「はあ・・」となるのが多くの医療従事者だと思う。

逆に、93歳、心肺停止。ってのは蘇生処置をしても戻ることはほぼないので、搬送されてきてもがっかりだけれども、家族が納得するためのパフォーマンスと割りきって蘇生を行う。本当は特養とかの医師が死亡確認してくれたらいいのにと恨めしく思う。ちなみに、こういう人が担ぎ込まれてきて、「家族の希望」で心臓マッサージ(心マ)などを始めると、スタッフは悲惨である。胸を深く素早くリズム良く押すという、良質な心マを続けるにはせいぜい数分が限界で、僕みたいな非力な医者はすぐに選手交代しなければ続かないほどしんどい。屈強な救急隊員でも汗だくになるほどハードである。

すでに死んでいるような高齢者に、心マして点滴してクスリを入れて蘇生を試みても、効果が期待できないばかりか、心マで肋骨が折れたり、挿管で歯が折れたり、あちこちに点滴を刺されてあざだらけになったりして無残な姿になるばかりだ。スタッフも仕事だからやるけれども、そうやって家族が呼び入れられて、「蘇生を試みましたが無理でした。残念ですが、◯時◯分、死亡確認です」と告げられて高齢者は人生を閉じる。宣告後、「爺ちゃんよくがんばったね」と亡きがらに取りすがる家族には、正直言って違和感を感じる。爺ちゃんを最期まで傷めつけてすっきりしたのはあなた自身ではないのか。医者に何かをしてもらった、というか何かをさせた、というカタルシスは得られただろうが、爺ちゃんは果たして本当にそれでよかったのでしょうかね、と僕はいつも後味が悪い。

「夕飯を食べて横になって消灯の時間に介護職が巡回すると静かに寝ているが息をしていない、これは大変だと夜勤の看護師に相談し、救急要請」ってのがそもそも余計なお世話だと思う。僕なんかに言わせれば、特養といった高齢者施設にいる人は、いつ死んだっておかしくないほどの高齢者が大半だと思う。それを寿命というのだ。死亡確認すらできない施設だというのが気の毒だけれども、人が亡くなるのを見届けたことがないような介護職しかいない施設や医者のやる気がなかったりすると、「死にそう?そりゃ救急車呼んどけ。家族にはできるだけの対応をしてもらうために搬送しましたって説明しとけ」というのがマニュアルになってしまうんだろうなとも思う。

そんな責任転嫁で「もう寿命でしょ・・」って人を救命救急センターに運んできたって、そりゃ病院としては「はぁ?」となる。救命センターは多発外傷とか心筋梗塞とかの文字どおり瀕死の人の命を救う砦であって、老人の「延命センター」ではないので、丁重にお引き取りいただくほかない。


◯ 延命希望で行われる処置

ご質問のケースでは、「肺炎を繰り返す超高齢者で、救急車で搬送して病院を受診するも帰される程度で、家族は点滴を希望している」というありがちなパターンである。そもそも入院する必要がない状態なので、詳しい事情はわからないけれど、自分なら点滴もしないで帰す症例だと思う。

日本は不思議な国で、点滴をすれば良い医者で、なにもしないで帰すとひどい医者と悪しざまに言われる。前のエントリーでも書いたけれど、不必要な点滴なんてしないに越したことはない。とにかく点滴をしてくれるという心優しい整形外科の診療所で院内感染が起きて、死人が出たケースもある。http://idsc.nih.go.jp/iasr/30/348/kj3481.html )

「救急車で来たけれど軽症なので帰したいが、すぐに帰すと家族がやかましくて・・」という時に間をつなぐために点滴をすることもないわけではない。だけれども、不必要な点滴は血管内の水分を増やして心不全につながったりするので、普通の医者なら厳に慎むと思う。家族がイノセントに「点滴すれば元気になる」という「点滴教」を信じ込んでいるとその考えを改めることは僕らにも難しい。

とはいえ、食えなくて干からびた老人には必要があれば点滴をする。末期がんの緩和ケアはいろいろ研究がなされていて文献も豊富だけれど、老衰で枯れていく人をどうしたらよいかについては、あまり成書も出ていない。英語の文献はいくらかあるけれど、著作権云々が面倒なのでとりあえずwebのリンクをご参考までに。

http://ameblo.jp/setakan/entry-10933480443.html (大津秀一先生のブログ)
http://www.jspm.ne.jp/guidelines/glhyd/2013/pdf/02_07.pdf (日本緩和医療学会)
http://www.pharmis.org/jp/cancerpain/7.2.htm(東京薬科大学医薬品情報解析学教室)

ごく私的な経験からすると、食えなくて脱水になってくると一日中眠るようになり、苦痛はほとんどないように思うし、点滴でジャブジャブにするよりも水分を控えめに管理したほうが、長生きしているようにも思う。

昨年つくったマンガがあるので、参考になれば幸いです。
https://drive.google.com/file/d/0B8-ywYuJCx8BaHJDT0pvdEdjU3c/edit?usp=sharing
https://drive.google.com/file/d/0B8-ywYuJCx8BYUd3aUlKekFHczA/edit?usp=sharing

2014年1月4日土曜日

「枯らす」技術

仕事の合間にツイッターでぼやいていると、反響が多いツイートは、決まって看取りとか終末期に関するもの。

「『寿命のろうそくがもうすぐ燃え尽きそうだね』って状態で、老健や特養から救急車で運ばれてくる人は多いけれど、うちら医療従事者にできることなんておのずと限界がありますよ。いつまでも元気でいると思っていると足元をすくわれることになりますよ。人生どうやって閉じたいかあらかじめ家族で話しあっておいてくださいね」ってことを伝えたいという僕の願いは、誰かに届いているのだろうと思う。少しずつフォローしてくださる方が増えてきてありがたいことだと思っている。

別に自分よりも立派な医者や看護師さんはごまんといるわけだけれども、田舎勤めのしがない医者として僕が診ている患者さんやその家族がどうやって最期の日々を過ごしているのか、守秘義務にひっかからない範囲でぼやかしてお伝えするのにもきっと意味があるのだろうと思って続けている。

で、「格好のよい終末期の過ごし方」みたいな本は世の中にあふれてきていて、あえて僕のツイッターなりブログなりでトレースしなくたっていいだろう。

含蓄のある話やきちんとした臨床の実践は、緩和医療医 大津秀一先生 http://ameblo.jp/setakan/ とか鎌田 實先生http://www.kamataminoru.com/index.html とかの著書なりwebを参考にしていただくとして、このブログでは大御所があえて書けないことを書き散らかしてみようと思う。

それは、どうやったら「枯らす」ことができるか、だ。

救急車で運ばれるような病院に入院したら医療費に加えておむつやティッシュ、食事代などでかなりの金額が飛んでいく。急性期病院から出て行ってくれと言われて療養型に行っても同じこと。老健、特養と介護施設を回っていくなかでもどんどん金はかさんでいく。景気が悪い中で月々ウン十万円も老人に払える家庭なんてそうそうない。いくら貯金していたって足りないぐらいだ。

すごくドライに割り切ると、働き盛りや小さい子供を抱えた家庭が、老人につぎ込める金額なんて知れている。金がかかればかかるほど、どんなにお世話になったお年寄りも「金食い虫」として憎悪の対象に代わるし、何よりこれから生きていかなければならない人たちの財産が失われることになっては、何のための老人介護なのか訳がわからない。いっぱいお金を使ったけれども、家族が職を失ったり貧乏になっては老人が亡くなった後も不幸が続くことになる。

そういう悲惨な家族をそれなりの数見てきた医者としては、「医者にこういうお願いをすれば、こういうことをされて、その結果どれぐらいで逝きますよ」っていう知識を身につけてもらいたいと思う。遅かれ早かれ旅立つ定めの老人と、老人が死んだ後も生きていかなければならない家族とが現実的に折り合う点が、僕ら医療従事者にできるベストな看取りだと思うから。

「食べれないので点滴してください」 外来編1

○夜中の救急外来にて

90歳近い爺ちゃんを家族が連れてきて、「先生、うちの爺ちゃん、2週間前からほとんど何も食べていないんです。点滴してやってもらえませんか」というシチュエーションは、医者なら誰でも遭遇する。とりわけ最近そんなケースが増えているように思う。
僕らも人間なので、「ずっと前から具合が悪いんだったら、明るいうちに連れてきてよ」と思いつつ、でも「わざわざ夜中に連れてくるからには、きっと見るに見かねる何かがあったのだろう」と考えて診察し、脱水と思えば点滴をしてみる。

診てみれば、認知症でもともと食欲はない人で、家族やヘルパーさんが柔らかくした食べ物を口までもっていって、ようやくモグモグと飲み込むだけの人だったりする。ヨーロッパの文化圏では自分の意思で、自分の力で食べなくなった老人は、もう生命体として枯れるがままにそっとしておくというのだけれど、日本は強制的に食わせるのが介護だと思われている節があって、嫌がるのに口をむりやりこじ開けてスプーンで流動食を流し込むようなことがまかり通っている。

自分の倫理観としても、「自分で食えなくなったら人は終わり」だと思っているので、家族がいくら望もうが高齢者自身が望まないことをやりたくはない。口に出せなくても食べない、というのは立派な意思表示だと思っている。

「口から飲めるならポカリとかアクエリアスとか飲んだ方が安いし、針も刺されず痛い思いもされません。OS-1などは飲む点滴といわれるくらいですのでお勧めです。今は夜中なのであまり検査とかもできませんので、また明日来てもらうことになりますし」とやんわりと思い直すようにいうけれど、家族の点滴信仰はかなり根深いので、「点滴するまで帰りません!」とか言われてしまう。

ただ、医療漫画の名作「ブラックジャックによろしく」でも出てくるが、500mlの点滴を1本ばかり入れたところで、ブドウ糖21.5g(ソルデム3A)しか入っていないので、86kcalとおにぎり1個分にもならないことは思い出してもらいたい。http://www.info.pmda.go.jp/downfiles/ph/PDF/470034_3319510A4083_1_03.pdf

そんな気休めにしかならないような点滴だが、夜中に押し問答をしても誰の得にもならないので、厚労省様には殺されるが、押し切られて点滴をしてしまうこともある。

お値段としては、輸液製剤126円と点滴注射 95点(950円)、初診なら270点(2700点)、深夜加算で480点(4800点)などがつくので、1万円近くになる。ありがたいことに健康保険のおかげで後期高齢者だと1割負担だったりするから窓口では1000円も払わないで済むけれど、その分誰かのフトコロが痛んでいることには変わりないのだけれど。

点滴したからと言って認知症や老衰が治るわけもないので、多少の水分を補う程度でお茶を濁し、そのままお帰りいただくこととなる。日中は仕事をしている家族が意を決して爺ちゃんを連れてきた場合には、「家では面倒を見れない。入院させろ。何かあったら責任とれるのか。」と入院させる気満々で、これまた押し問答になるわけだが、脱水だけで入院させていては、救急用のベッドが埋め尽くされてしまって地域の救急医療が回らなくなるので、当直医の良心にかけて丁重にお断りすることになる。

重症の人が入るはずの病棟が寝たきり老人だらけとなってしまって、重症で本当に入院が必要な患者が受け入れられなくなるという事態は避けたい。なにより仏心を出して入院させると、弱った高齢者はみるみる弱って本当に動けなくなるので家には帰せなくなる。というか家族が引き取りを拒否するようになる。「ようやく病院に放り込んで介護の負担が減ったんだ。多少のイヤミぐらいには耐えてやる、逃げ切れば勝ちだ」みたいな。そうした文脈で、よく家族からは、寝たきり老人に「元通りになるまでリハビリしてください」といわれるのだけれど、80歳、90歳の高齢者に筋トレしてマッチョになれ、というぐらいの話であり、現実味がない話だとわかってもらえたらと思う。無理を知っていて僕らに頼んでくるとしたらかなり筋が悪い。

そうやって、退院できなくなった寝たきり老人は病院に滞留し、ベッドをふさぐ。だから単なる老衰の患者はなるべく入院させたくない、というのが中核病院に勤める医者の心理。「夜中は人が少ないからガードが甘いはずだ。だから夜中の救急外来に連れていけば、老衰の爺ちゃんを入院させてもらうのなんて楽勝」ってのは、僕らの使命感と責任感からすれば、決して許されるものではないことがわかると思う。相手がそういう態度なら、こっちもそれなりのファイティングポーズで臨むだけの話。


○老人が飯を食わなくなったら

まずは身近な開業医の先生に相談していただきたいと、勤務医だてらに思う。喰えないだけなら介護保険じゃないかというのもごもっともだけれども、介護保険の手続きには主治医意見書ってのを書いてもらう必要があるので、かかりつけの先生とよく話し合ってもらいたい。

また、介護保険の手続きはいかにもお役所仕事というか、かなり悠長なものだ。認定調査が来るのも役所に申請してからだいぶ先になるし、認定審査会がせいぜい月1回とかしか開かれない。介護施設にもすぐに空きなどあるわけもないので、要介護4とか5とかがついたとしても、いつまでたっても行き先が決まらない。だから救急病院としては寝たきり老人は受け入れたくないという側面もある。(※要介護認定が正式に出る前からサービスは使えるけれど、普通は施設が渋る)

くどいけれども、「老衰で喰えなくなった」という高齢者をどうしても入院させたいときには、いきなり救急病院には連れて行かないことを重ねてお願いしたい。


愚痴めいた話ばかりになって、このエントリーは実用性がなかったかも、と書き終わってから反省。
次は「点滴をしないとどうなるか」を書いてみようと思う。